「ちょっと見てくれる?」が地味に重たい
仕事柄パソコンをさわることが多いのだけれど、よくされる誤解が「パソコンのこと何でもわかるでしょ」というもの。この間も「この前から不審なメールを届くんですよ。ちょっとパソコンに入ってみてもらえませんか」と聞かれた。他人のパソコンに入ることはできないし、そもそも私の仕事は「パソコンなんでも相談室」ではない。
私の専門はパソコンサポートではないこと、そもそも担当範囲の内容ではあると前置きした上で、不審なメールは基本的に無視か迷惑メールとして処理するのがいいのではないか」と伝えた。
すると、「分かりました。またよろしくお願いします」との回答があった。
全く悪気がないことはわかるが、また、質問してくるつもりなのか?と一抹の不安を覚えた。
それ、私の専門じゃないんです…!
でも、知らない人にはから“全部同じに見える”問題
人って、自分が触れたことのない世界のことは、ひとまとめにしてしまいがちだ。
「パソコンに詳しい=メールもセキュリティも、機材トラブルも全部わかるでしょ?」みたいに、ジャンルの違いが見えなくなる。
たとえば「医者」と一口に言っても、皮膚科と脳外科がまったく違うように、パソコンの仕事だってジャンルが山ほどある。でも、知らない側からすると“全部パソコン”に見えちゃう。
だから「ちょっと見てくれる?」と軽く頼んでしまうのだと思う。
さらに厄介なのは、自分ができないことでも、得意な人にとっては簡単にできてしまうのではないかと安易に想像してしまう。
聞いたことにパッと答えが返ってきたり、目の前でサッと作業されると、「え、そんな簡単なの?」と感じてしまうのも無理はない。
でも、その裏側には、何年もの勉強や経験、失敗や試行錯誤が積み重なっている。
プロが軽やかに見えるのは、魔法でも天才でもなく、ただの“蓄積の結果”だ。
一見スムーズに見える動作の裏には、地層のように積もった知識や反復がある。
だからこそ、簡単そうに見えるからといって、本当に簡単なわけではない。
その見えないプロセスまで含めて、専門性は成り立っているのだと思う。
30秒の絵は、40年と30秒でできている
ピカソの逸話に(事実かどうかはわからないけど)、30秒でナプキンに書いた絵に100万ドルの値段を付けたという話がある。
依頼した人が「たった30秒で描いた絵なのに?」と驚くと、ピカソは「40年と30秒だ」と答えたという。
簡単にできたから安いというものではない。それまでに積み重ねてきた経験や磨いてきた技術に価値があることを示す話である。
プロの世界は、1ミリのこだわりでできている
神は細部に宿ると言うけれど、専門家はその分野に緻密さがあるからこそ専門家なのではないかと思う。私はおしゃれが好きだが、メイクアップアーティストが語る色の違いがよくわからない。「ほら、このペールピンクのアイシャドウを一塗りするとグッと印象が変わりますよね。」と語られていても同じじゃないかと思ってしまう。色の入れる位置の違いもよく分からない。
デザイナーは構図の1ミリのズレも違和感に感じるかもしれない。
画家は線の滑らかさや細かさにこだわる。その繊細な違いを見える目を育て、アウトプットできるからこそ専門家なのだと思う。
知識の引き出しが多い人は、時間の貯金がすごい
何かを作り出す形ではなくても専門家はいる。
知識人は、長い時間をかけて、自分の中の大きなデータベースに積み上げて、必要なときにそれを引き出せるようにしている。だから、素人が何時間も調べて考えて辿り着く答えを、パッと出せるのだ
“すぐできる人=簡単”ではないという視点
得意な人にとっては「簡単なことではないか」と安易に結びつけないようにしたい。
相手の労力や見えないプロセスを想像できる人でいたい。

