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区切りをつけること

私は区切りをつけるのが苦手だ。

ある程度、時間や労力をかけても、望ましい結果が出ていないとき、そろそろ潮時だからと辞めることができない。

あと少し、あと少し、と続けてしまう。

理由は、自分の中で、理想の状態を高く設定してしまっているからだと思う。
せっかくやるななら、これくらいまでやりたい。それが達成できないと、中途半端でモヤモヤしてしまう。

でも、現実には、思い通りにならないこともある。外側の環境やタイミングなどによって。
それでも、まだ自分の行動や努力が足りないのでは?と思い、たいした見込みがなくても続けてしまうのだ。

まるで、味のしなくなったガムを噛んでいるような状態。
もう最初の新鮮さも満足感もないのに、「まだ口に入ってるから」という理由だけで噛み続けている。今の状況からは、これ以上の学びや達成感をほとんどくれない。でも「もったいない」や「ここまでやったし」の感覚で捨てられない。その間に、次の経験を味わう機会が減っていく。

私たちの時間・集中力・体力は有限。
望んだ結果が出なくても、「今ここで、できることはやった」と自分で線を引くことは、次に大事なことへ資源を回せるようになる。

もう十分。
これで十分。
この章はこれで完結。

そう言えたらいいのに。

私はつい、外側の結果を元に自分は何者かを証明しようとしてしまう。
これができたから私はすごい。
始めたからには、ここまでは成し遂げるべき。
他の人はこれだけできてるのに。

外側の状況や成果は、私の幸せや価値を決めるものではないのに。

「成瀬は天下をとりにいく」という本を読んだ。

突拍子もないチャレンジを次から次へとやってみせる。でも、そこに期待がない。

そんな主人公、成瀬の性格が私には小気味好く写った。

たとえ目標に届かなくても、成瀬は落ち込まない。
p13

毎日デパートに通い、朝の放送に映ろうとしたときも。
それによって、注目されるとか、誰かが一緒にやってくれるとか、気にしていない。

M-1に出場すると、言い出した時も。
一緒に漫才をする友人が全力でと考える一方で、成瀬はまずは出場するだけでいいと言う。

やってみて、楽しかったからまたやる。
来年にはまた違う気持ちになっているかもしれない。流動性がある。
なんとも軽やかだ。

たくさん投げて、どれか一個上手くいけばもうけもの。

彼女は自分の内側は貫くけれど、
外側のことは事実しか見ていないのかもしれない。

テレビで漫才を見て面白そうと思った。ただそれだけのどうきでM-1に応募した。

そして彼女は言う。
「どちらにせよ。これで一生『M-1グランプリにでたことがある』と言えるようになったな」

M-1に出場したという事実を過小評価するでもなく、しっかり捉えている感じ。
そして、そこで満足して、自己完結している。

やったことは変わらない。
それをたいしたことないと捉えるのか。
よくやったと捉えるのか。

それは自分にかかっているんだろうな。

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