長年、「忙しい」というのが私の癖だった。
「自分の時間がない」
「落ち着く暇がない」
いつか余裕をもって暮らしたい。
どうやった時間に余裕をもてるのだろうか?
客観的にみれば、時間がないわけではない。
「忙しい」「時間がない」といっていても、1日は24時間与えられている。
その時間を、寝るのに8時間、仕事に8時間、食事に1時間、SNSを見るのに1時間、というように、自ら過ごし方を選んでいる。意識的にしろ、無意識的にしろ。
時間がないというとき、勝手に時間が過ぎ去ったように思えたり、何かに時間が奪われたように感じるけれど、「使い方」次第なんだと思う。
自分がウキウキするような時間もあれば、退屈な時間もある。
同じ24時間のひととき、ひとときを「望む方に時間が使えているのか」の方が大切なんだ。
それから毎月の振り返りでこんなことを書き留めるようになった。
「今月、私の心を喜ばせてくれた時間の使い方はなんですか?」
コーヒーや紅茶を飲んだり。
日記を書いたり。
漫画を読んだり。
決して生産的ではない、ほっとするような時間が私の心を喜ばせてくれていた。
私は寝起きが悪くて、1日の動き出しが遅いと思う。
お昼ごろに起きるたびに、「寝過ごした」「午前中を無駄にした」となんだかもったいないことをしたように思っていた。
でも「長く寝る方に時間を選んだ」という視点からみれば、布団に包まるのが好きで、起きるまでの微睡を楽しんでいたのだと気づいた。
一方で、todoリストを決めて消化していく時間も好きだ。
ある時間、集中して作業をして、やることやった!というのは、達成感がある。
そうやって意識をしていくと、自分好みの時間の使い方が増えていく。
結果、必死で動かなくてもやることが終わり、ゆったりもできるようになった。
お金も時間と同じ。
勝手になくならない。
意識的にしろ、無意識的にしろ自分が選んで「使っている」。
家賃だったり、通信費だったり、食べ物だったり。
お金がないのではなく、自分好みの使い方ができていないのだ。
同じように、お金についても問いかけるようになった。
「今月、私の心を喜ばせてくれたお金の使い方はなんですか?」
テーマーパークや旅行の非日常感。
高い買いものをしたときのドキドキ感。
好きな食べ物をたべて、ほころぶ幸せ感。
暖かい空間で暮らせる安心感。
振り返っていくうちに、私は食べ物ばかり出てきた。笑。
あと文房具の書きごこちとか、洋服の着心地の良さとか、かわいいと思った絵柄とか。
高いもの、役に立つもの、長持ちするもの、、、ではなかった。
実は、幸せを感じるのに値段は関係ないのかも。と思った。
逆に、お腹がすいて、やっつけで買い食いしたり。
気晴らし、なぐさめに、ものを消費したり。
払った金額分ほど幸せを感じられない買い物もあった。
そういときは、満足度が少ないから、お金が勝手に出ていったように感じる。
自ら選び、ここにお金を使えることが幸せだなぁと自覚するようになって、毎日の食材を買うのにも、「この野菜でご飯を作れて、私を満たしてくれる」と感じるようになった。
そのうち、ほしいもの買ってるけど、月末はお金があまるようになった。
自分が望むことに時間を使えているか
心が喜ぶことにお金が使えているか