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理想と現実を地続きにしたい

今年の初め、訪れていた金沢で地震にあった。少しばかりの予定変更は必要だったけれど、幸いにも怪我などもなく、無事に過ごすことができた。
当時、仕事がつまらなくて、退屈で、やる気がないことが悩みだった。嫌だけど、やり方を変えるほど躍起にもなれず、かといって、仕事を辞める踏ん切りもつかず、悶々としていた。
そこで、突然の事態に陥って、「今、いろんなことに悩んだりしているけれど、30分後にはそれすらできなくなるかもしれない」「命も、大切な人も、これまで積み上げてきたものすべてが簡単に取り上げられてしまうことだってある」と思った。

だとしたら、未来の幸せのために、今をないがしろにするやり方は私を幸せにはしないんじゃないか?

仕事なんだから、やる気があろうかなからろうがやるもの。
この仕事をやると一度決めたことなんだから、しっかり結果を出すまで続けるべき。
そう思っていたけれど、それが私のやりたい生き方なのか。
私にとっての成功は、人に喜ばれること、人から認められること、社会的に目に見えた地位を築くことではないはずだ。

決して、努力を否定したいわけではない。好きなことなら、成長することだって楽しい。できないと悔しいし、好奇心から学ぶ意欲が自然とうまれる。
今楽しくないのに、我慢して続けることに意味はないんじゃないか。今は辛いけど、きっといつか報われる日が来るという、未来への期待は役に立たない。

自分が今、幸せだったらいいんじゃない?
今、幸せを感じられることの方が大切では?

では、私は日々をどんなふうに過ごしていたら幸せだろうか。

  • たくさん読書をして、内面を掘り下げたり、豊かに表現したい
  • 日常の中で心に残ったことを絵に描いたり、漫画にして楽しむ
  • 作曲したり、好きな曲をアレンジして演奏している
  • 大切な人との絆を日々感じている
  • 家を整えたり、料理や小物など手作りをする
  • 「やりたくないことがない」「こんなこともさせてもらえるなんて、ありがたい」そんな予定ばかりの仕事をする。
  • 朝ワクワクした気持ちでめざめて、その日やりたいと思ったことを手につけて、夜満足した気持ちで眠りにつきたい。

これが私の理想。
なのに、やりたくない作業に疲れて憂鬱にすごし、休日も疲れから昼過ぎまでねて、家事をかたづけて、ぼーっとスマホをみて過ごしておわる。
仕事がつまらなくなり、日々をだらだらすごすフラストレーションは、一歩ひいてみると、理想と現状がつながっていないことからくるのだろう。

仕事だったり、人から頼まれたことだったら、嫌でも時間を割いたり、努力する。例えば、説明のために文章を書く、人前に発表をする。苦手でも、やらなきゃいけないから、たくさん練習して、準備をする。

でも、外からプレッシャーをかけられずに、ただ自分だけが関係していることだと全然すすまない。絵とか、音楽とか、好きでやりたいことのはずなのに。自分が興味あること、楽しめそうなことにエネルギーを注いでいない。

「受け取る」好きと「育てる」好き

好きなことには2種類あると思う。

一つは、美味しいものを食べる、旅行に行く、音楽やゲームや映画などすでにできあがった作品を楽しむ。それは、楽しめるものが完成系になっていて、自分は受け取るだけでいい。受動的に楽しめるもの。

もう一つは、料理を作るとか、創作する、運動するとか、自分が創意工夫をして主体的に取り組むもの。それは完成形じゃなくて、できるようになるまでに練習したり、思うようにいかなくて失敗したり、面倒くささも伴いながら自分が育てていく。

どこかの動画で見たのだけれど、吉田さおりさんの父が金メダルが欲しいといった娘に「コンビニやスーパーで売っているものではない。自分が努力した先で掴み取るもの」と言う話をしていたそう。

私がほしいものもそう、お金と交換してすぐえられる喜びではなくて、努力して手にしていくもの。外のあるものから作られたものを受け身で消費していくことよりも自分が育てていくものなのだ。

正直、絵を描こうと思っても、素人レベルで、恥ずかしいなって思う。描きたいものを十分に表現できない。音楽を楽しみたいと思っても、作曲もアレンジもなんてしたことない。
ちょっと手をつけても、つい後回しにして続かなかった経験は何度もある。

子供の頃は学校があり、課題をやれば、誉められたり、やらなければ怒られたりした。何をしなければいけないのか、カリキュラムも決まっていた。
大人になると仕事でもないかぎり何か強制されるわけではない。
だから、今いるところから、理想へと道を続けていくために、環境を整えて、やりたいことができるように自分を育てていくことなのだろうと思う。

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