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努力が報われるって、どういうことなんだろう?

努力すれば報われる——本当にそうならどんなにいいだろう。

だけど現実は、必ずしもそうではない。

ここ最近、協力型のゲームで、仲間たちと一緒に難しいステージの攻略を目指していた。

何日も、何週間も、失敗を繰り返しながら、少しずつ前に進んでいく。 そういう挑戦だった。

私はその中で、自分の成長のためにも、個人的な練習を重ねてきた。
自分の力で限界に挑みたい。

早くクリアして実力を証明したい。

そんな想いがあった。

でも、実際には思うように結果が出なかった。

ゲームをクリアするためには、一人一人が役割を担い、良いプレイをして前に進んでいく必要がある。

私は、自分のミスでみんなの足をひっぱらないように、全体の練習時間が無駄にならないように、空いた時間に個人練をしていた。
だから、チーム練習のときには早く動けたり、うまく動けない人のカバーに回ったりもしていた。

でもあるとき、「ここはお披露目の場じゃないからね」という言葉をかけられた。

ショックだった。

自分なりに努力してできるようになったことを、チームで発揮すると、「目立とうとしている」とか「できることアピール」と見なされれしまう。

さらに、個人練習したり、早くクリアしたくて頑張ることを、 「そこまでしてやらなくても」「早くクリアしてイキリたいの?」という冷ややかな言葉も耳にした。

仲間との熱量やペースのズレが辛かった

もっと早く進みたい私と、楽しければいい、マイペースな仲間たち。
「人によって、差があるのは自然」と頭ではわかっていたけれど、ペースが遅いことに焦ったし、孤独も感じた。

みんなでクリアを目指してるはずなのに。

チームゲームだから協力したい。
でも、協力=手を抜いてる人や成長が遅い人に合わせることになる。

一人で進んでも、チームで足踏みすれば結局は進めない——そんな焦り。
やる気のある人が“割を食う構造”にモヤモヤをした。

・一生懸命練習しても、クリアには届かなかった
・チームのために努力したことが、周りから理解されない
・真剣に向き合っていることを、軽く扱われる

こういうとき、「何のためにやったんだろう」と空しくなる。

頑張りが結果として反映されなかったり、
努力の裏側にある気持ちを理解されなかったりすると、
自分のやっていることなんて無意味なんじゃ無いかと感じてしまう。

結果、当初の予定だった2ヶ月の活動期間をすぎて3ヶ月たっても全体の8割程度の進捗にしかならなかった。

正直、今のチームで攻略するのは、自分の価値観・やり方とは合わなかった。

でも、今まで一緒にやってきたからこそ、このチームでの活動を投げ出さずにゴールまでは続けようと思った。
自分なりにできる方法で、自分のこころを守りながら、「チームへの協力」と「自分の挑戦」を両立させようとした。

“努力が報われるか”を「外からの評価」だけで定義してしまうと、心がすり減ってしまう。

・クリアする
・人に認められる
など、見えるもの。

でも、これは、現実的にはできないこともある。

自分ではコントロールできない。

逆に自分の歩んできた道を認めて、

・成長した実感
・納得感
・自分なりの満足感

これは自分で積み上げていくことができる。

チームとの価値観の違いにモヤモヤしていたのは、 それだけ自分が「努力してきた」からなんだ。

“自分で納得できる過程”がほしかったから。

頑張って練習して、できるようになったことを出せたとき、
それは自分にとってささやかな喜びだった。

「報われてほしかった」と願う努力がある。

でももし、それがすぐに報われなくても。

必ず見えないものが自分の中に積み重なっていくと思う。

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